そば通の常識を覆した白鳥製粉
その需要と供給のギャップを乗り越えるアイデアを考えついたのが、先代社長の白鳥利重でした。南半球では日本と季節が逆転する事に着目し「オーストラリアで栽培すれば、夏でも新そばが味わえるのではないか」というアイデアを実現すべく、オーストラリア小麦局に種を送り、栽培実験を依頼したのです。
最初の実験では「非常に失望的な結果」という返事が届き、あきらめてしまいました。その後十年ほどして、後を継いだ白鳥理一郎(現在の代表取締役)が、失敗の原因を探るためにオーストラリア小麦局に問い合せ、当時のレポートを取り寄せたところ、実は日本とは半年ずれた時期に撒くべき所、同じ時期に撒いたのが失敗の原因だと判明しました。
再度の実験を目指して、1985年11月に白鳥理一郎はタスマニア州首相のロビン・グレイ氏に会い、州農務省次官アラン・スミス博士にそばの栽培試験を依頼することができました。
栽培試験が受理され、翌年1986年2月には宮崎大学農学部の足立泰二教授にご助力いただき、タスマニアへ栽培指導と意見交換に出かけました。その後、スロベニアのリュプリャナ大学教授でソバ育成学の権威、イワン・クレフト氏にも技術的な教えを受けて、タスマニア農務省に栽培試験を行ってもらった所、みごとに実験は成功し、日本のそばに優るとも劣らないものができたのでした。以降、本格的に栽培を開始して1988年4月に「タスマニアそば」が日本で供給開始されました。
タスマニア州首相ロビン・グレイ氏と白鳥理一郎(1985)
お世話になったタスマニアの皆様(1988)
赤い花を咲かせる高嶺ルビーとの出会い
誰もが思い浮かべるそばの花は純白です。ところが赤い花を咲かせる珍しいそばを発見したのが、信州大学農学部の氏原暉男(うじはらあきお)教授でした。ヒマラヤ山嶺のムスタン地方、標高3800mのチベット国境ムクチナートの村でのことです。許可を得て日本に持ち帰り、大学の圃場で栽培した所、花は赤にならずピンクにしかなりませんでした。その後、機械メーカーのタカノ株式会社との産学共同で品種改良と成分分析を続け、10年を経てようやく「高嶺ルビー2011 品種登録第3347号、(TAKANE RUBY 2011 Reg. Nr. Japan 22653)」として登録できたのです。
しかし、本格的栽培となると、長野、東北、北海道などでは美しい赤い花を咲かせるものの、生育期間が長すぎて結実前に台風や霜害で収穫量が少なくなってしまう問題がありました。
白鳥製粉では気候が安定したタスマニアでのそば栽培実績をもとに、高嶺ルビーを試験的に栽培したところ、期待されていた十分な収穫が得られ、氏原氏に大変驚かれました。以降、タスマニアは高嶺ルビーの安定した生産地に成長していったのです。
高嶺ルビーの赤は豊富なルチン
高品質、安心安全なタスマニアそば
品質は、タスマニア第一次産業省が品質検査・品質証明を行い、これをクリアーした高品質なものだけが「タスマニアそば」として認定されます。(日本での1等に相当)日本へ輸送する際も、20度を越えることのないように厳重にコンテナで温度管理されて運ばれます。
消費者の皆様に安心してご使用いただける最高品質のそばです。
About Tasmanian Soba (English)
Contents
- WHAT IS SOBA?
- SOBA IN TASMANIA
- THE ORIGINAL VISION
- KEY SOBA CONTACTS
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About_Tasmanian_Soba.pdf